aikoのファンクラブ会報で、本人から語られてきたエピソードの中で、ひどく印象に残っているものがひとつある。
いま現在その会報が手元にないので覚えている限りでざっくり書くと
「仲の良い地元の友人たちがいつものように私の部屋に集まりわいわい楽しくやっていたが、その中の誰かがテーブルの上にあった灰皿を床に落とした。床はカーペット敷きなので掃除がちょっと大変なのに、落とした本人は(ま、普段仲がいいaikoやし大丈夫やろ)とそのまま放置した。その様子を見てどうしても許せなくてブチ切れに切れて友人たちを部屋から追い出した」
そんな内容だった。
15年以上も前の記事なので私が誇張して書いてしまった部分もあるかと思うが、そこは許していただきたい。
もしこの日記を読んだ方の中にBabyちゃんがいれば正確なところを教えて欲しい。
とにかくaikoがキレた、そのことだけでなく、理由の方も印象深かったのだ。
いつも親しくしていれば、なぁなぁで事を済ませていいのか?
煙草の灰を部屋にぶちまけてもいい相手なのか、私は、あなたにとって?
そういう風に、相手を軽んじていいのか?
この怒りは至極もっともなものだ。
私だって、これをされたらブチ切れまではしなくとも、相当機嫌が悪くなるしショックを受ける。
誰だって自分がされたら、そう思う。
反転して、これを自分がしてしまた場合はどうだろう。
相手にとってひどい事をしたと気がつけるか?
煙草の灰を部屋にぶちまけてしまったというところは、例え話として考えたらいい。
自分にとってはちょっと軽いノリで言ってしまったこと、やってしまったことが相手にとっては何より大事にしていた事物を軽んじたことになっていた。
そんな結果を引き起こすことが世の中にはたくさんある。
私は、うっかり信用を失うということが結構ある。
結構あってはいけないことなんだけれど、うっかり、引き起こしてしまう。
その度にこのaikoのエピソードを思い出しめそめそするのだが覆水盆に返らず。
必至に弁明をするべきだけれど、相手にとっては私の存在自体がストレスになっているだろうと勝手に推測して、静かに距離を置く。
2019年も、また、やってしまった。
先日、秋からライティング・ゼミに通い始めていると日記に書いたが、そのゼミの講義中にもこのエピソードを思いだすことになった。
「読まれる文章の基本は読者に敬意を持つこと」
リーダビリティのある文章とはそういうものらしい。
私はゼミ後の課題添削で毎回のように「リーダビリティが弱いです」と指摘を受ける。
「他人への敬意を意識できておらず、うっかり信用を失くし続ける私」がそのまま文章に現れている。
反省はいっとき。
心がけは一生。
忘れてはならないこととして、ここに記録する。
同じような理由で別れた人からもらったメールを思い出し、さっき、読んでみた。
当時読んだ時よりもずっと理解できた。
併せて、一部抜粋して記録しておく。
こうして、僕達が、どうしても続けられなくなったことも、きっと、大切な意味があるんだと思います。
あなたはあなたの道を、私は私の道を歩いて行くんですね。
短い間のお付き合いでしたが、僕はあなたに惹かれ、あなたを疑い、あなたに期待し、あなたに失望し、あなたの幸せを思い、あなたを妄想し、あなたを諦めた。
そんな時間を過ごしました。
京都はこれからもどんどん変わってゆくのでしょうね。「意味」が失われていくことは愚かしく、悲しく思います。
僕も、あなたも、変わってゆかねばならないでしょう。
でも、変わってはいけないものが必ずあります。
どうか僕もあなたも「意味」を失わないで生きていけますように。
これは、あるダンサーが、父に投げかけた言葉です。
「全力で後ろに戻りましょう」
さようなら。

- アーティスト:aiko
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2019/06/05
- メディア: CD