いい年齢なのに彼氏彼女がいない人って、どう思いますか?
2016年に実施された第15回出生動向基本調査によると「彼氏がいない女性の割合は約60%、彼女がいない男性の割合は約70%」で、世の中の恋愛事情は寂しい状況ではあるらしいのですがそれでも「いない人」って
仕事一本で時間がないのかな?
そもそも恋愛に興味がないのかな?
てゆーか、人間的にちょっと変わってるのかな?
世間一般的な感覚だと大体こんな風に見られてしまうんじゃないかなって思うんです。
私自身の場合で言うと「彼氏を作る努力をしていない」ことを自覚しているので自業自得感もあります。
(「いる人」って「欲しい」という意思をもってそれなりの行動をしたから「いる」んだと私は考えています)
さらにこじらせて「自分にはモテる素養はないし、ひとりでいる方が気楽だし全く問題がないよね~」と考えている卑屈体質でもあります。
基本こんな私ですが「無一さんはモテる条件をクリアしてると思うんだけど。そしてこの本おすすめです」と、とある方から言われたので二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』を読んだんです。
実は数年前にいちど読んだことがあったので、今回は再読です。
1度目には感じなかったこと、考えが至らなかったことがいくつか出てきたので再読記録としてアップします。
- 作者: 二村ヒトシ,青木光恵
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2012/12/02
- メディア: 文庫
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どんなふうにモテたいのか?
「ほとんどすべての苦しみは、そもそも「モテない」ことに起因している。
モテないこと以外のほとのすべての不幸は、モテてさえいればなんとかなる(か、ガマンできる)。
だったら、モテるようになるしか、あるまい。
と、本書は始まります。
では、そもそも「モテ」とは何か?
なぜモテたいと思うのか?
どういう風にモテたいのか?
延々6ページ以上にわたり、考えられうる様々な理由が例示されていきます。
▼モテない人生よりも、モテてる人生のほうが、なんとなく楽しそうだから?
▼モテないままだと「人生が先ゆき不安」だから?
▼モテるということが、かりに「セックスに不自由しない」という状態だとするなら。あなたは、誰とセックスしたいのか? 女なら誰でもいいのか?
etcetc...
もうこれだけでわけがわからなくなってきますね。
一応、この本は男性向けではありますが女に置き換えてモテない女が読んでも全く問題ありません。
女だってモテている方がなんとなく人生充実しているように思うものです。
どちらかというと、東村アキコの「おしゃれ」に縁のなかった少女と女装男子が繰り広げる騒動を描いたシュールラブコメディ漫画『海月姫』に出てくるアパート天水館で“男を必要としない人生”をモットーに生活する尼~ず寄りな私でもそう思います。
だいたい“男を必要としない人生”なんて強がりです。
強がりというか、ツッパリ精神です。
オタクだし、見てくれも良くないし、収入も少ないし、小学校の頃から男子には距離を置かれてたし、途中からずっと女子校生活だったし、もちろん恋愛経験も少ないし、そんな非モテな自分はこれからもそのカテゴリ内で自立して生きていくんだろうなー生きていくほかない。
しかし、35歳ともなるとツッパっていた気持ちも揺らいでくるし、できることならこれからの残りの人生の中で傍に好きな人がいたらやっぱり幸せなんだろうなーという気持ちも湧いてくるようになるものです。
(そこで連想する好きな人がアイドルであったり、役者さんであったりするのがまた非現実的)
別にモテなくても構わないと思っているなら、無論それでいいわけです。でも、「非モテ」「非リア」という言葉には、間違いなく、うらやむ気持ちが表れている。でも、はっきりとうらやむのではない。これらの言葉にはうらやむ気持ちを適度なところでストップさせる効果がある。おもいっきりうらやむわけでもないし、はっきり断念するわけでもない。
~巻末[特別対談]より~
よって、二村さんが6ページにわたり列挙する「自分にとってのモテ」とは何か、ということをひとつひとつ考えていかねばならぬのです。
まあ、女にとっての「モテ」というのは逆ハーレム的なそれではなく、自分にとっての特別な人に愛されているという「ひとりモテ」状態のことを言うのでありますが。
尼~ず寄りの女にとってはこれを目指すことさえ敷居が高い。
では、なぜそう感じるのか?
そこから考えていかないとならない。
そして行き着いた結論は24ページ目にズッパシ書かれている通り、きっと「自意識過剰だから」に他ならないんですね。
さらにひとりでいろいろ考えすぎて臆病になっている。
弱みがあるからツッパる。
考えることは大切ですが「考えるな、感じろ」という精神も大切です。
ひとりからだけでいい。
モテたい。
まずはその感情を感じきってからのスタートである。
と、改めて気づきました。
「自分の居場所」は持ててはいますが―
そして、この本で声を大にして言われているのが「オタクになれ」=「自分の居場所を作ろう」であり、その居場所というのは即ち『一人っきりでいても淋しくない場所』ということです。
自分自身を振り返ってみるに、この点はおおむねクリアできているとは思うのです。
ただ、ここで引っかかってくるのはそういう場所を持ち、常、ひとりでもどっか行っちゃう何かやっちゃっている姿が良くもあり悪くもありだという点なのです。
実際の友人・知り合いに言われた具体的な言葉がこちら。
「ひとりが楽しそう過ぎるし、もうそれでいいんじゃない?」
「無一さんは自分の世界が確立し過ぎちゃってて、何も持ってないオレ、恥ずかしい」
どうやら他人が入り込むスキがないらしい。
しかしこれって・・・二村さんが第5章で言うところの「大人になれてない」ってことなんじゃないだろうか? と再読してみて気がついたんですね。
好きなこと興味のあることに対しては子どもみたいに柔軟に食いついていける。
ひとりでもできますよーやれますよー。
そこに無意識に固執してしまってないだろうか?
なんせ長女なもんでね、親の手間かけず何でもひとりでやれることで親からも「手が掛からなくて本当によい子」だなんて言われてきたものだから大人になるまでずっと放っておかれました。
ひとりでできることで「自分を守ってた」。
他人に声をかける、巻き込む、迷惑をかけるってことをもっとしておけばよかったんじゃないか。
それによって(キモチワルくない)コミュニケーションが生まれる=モテるスキができたんじゃないだろうか。
という考えに至ったのでございます。
もしかして、私も「キモチワルい女」なのかなぁ・・・?
そして、最後に二村さんは「恋をする」ことをススメます。
「恋をする」とは「自分の欲求を、相手にぶつけること」だ。
だから恋をすると、相手がどんなに性格いい人だったとしても、あなたは、かならず打ち砕かれます。あなたは自分の【男性としての欲求】だと思ってたものが「じつは社会や親によって作られたもの」であることを知るかもしれない。
それは恐れるべきことじゃなくて、楽しいことです。
大人だということは「もうそんなに長い時間は残ってないんだからなるべく他人を幸せにしよう」と考えることだ。
もっと自分の生活の中に他人の存在を取り入れよう。
他人と話す、触れ合う機会を作ろう。
相手が男であれ女であれ、この姿勢で向き合って相手にも受け入れられている状態が私にとっての「モテ」かもしれない。
恋や愛に発展するかどうか、させたいという気持ちよりもこういうことの方が私にとっては重要な気がします。
いやいやモテて好きな人といちゃついてみたい、付き合いたい、そういう気持ちももちろんいいものです。
だから、読んだ人それぞれが自分にとってのベターな方向性と対策を考えられるんじゃないかなと思います。
モテなくて悩んでいる人はもちろん、最近社内でのお付き合いがスムーズでないなと感じている方、その他いろいろな方面で応用がきく本ですよ。
記事を書いているのはこんな人です。
shiba-fu.hatenablog.com
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