先週末は刺激になることがふたつあったので、少し時間があいてしまったのですが記録のための日記です。
【ひとつめ】音楽ライター講座in京都
12月21日(土)、岡村詩野音楽ライター講座in京都に参加(会場:カフェパラン。写真はこの日の特別ラテ)。
岡村さんのことは今年の秋、四条のライブハウスMOJOで見つけたフリーペーパー音読(おとよみ)で初めて知りました。
特集は「一億総評論家時代における音楽ライター論」。
音楽評論についての特集ではありましたが、何も一億総評論家時代なのはジャンルに関わりない今日この頃です。
みんながブログで、Twitterで、Facebookで自分の思ったこと感じたことをアップしているーそんな中で文章を書き(打ち)、アップ(掲載)していくことは極言すれば自己満足。
それでも、文章を書きたい(打ちたい)と思ってしまうのは、「誰かに何かを伝えたい」という力の向く方向がそれ(書くこと)だからです。
今日、おいしいものを食べた。
それを人に伝える方法は音楽でも絵でもダンスでも映像でも写真でも彫刻でも、何でもいいのです。
伝える方法手法が「書くこと」なだけなのです。
だから「いいね!」や「ブクマ」がつこうがつくまいが、アクセス数が少なかろうが、とにかく毎晩ぽちぽちとキーボードを叩く人間がいるわけです。
音読での岡村さんインタビューで共感したことを書き抜きすると、
・(音楽ライターの役割は)こんな音楽が世の中にありますよ、とナビゲートすることですね。
・(ポリシーは)常に読み手の目線に立って、オーソドックスに書くこと。奇をてらうことなく、平易な言葉を使うように心がけています。その一方でつい読んでしまうような、華やかな書き手でありたいと思っています。
・(音楽ライターに必要な文章力とは?)文章力よりもまず絶対に必要なのは、蓄積だと思います。たくさん音楽を聴いて血肉にすること。
・(アマチュアとプロの違いは?)読み手にいかに親切でいられるかだと思います。
音楽ライターという枠にこだわらず、オールジャンルな物書きに言えることばかり。
文章を書く講座なんて、今までほぼほぼ受けたことなんてなかったのでものを書く上で収穫があるんじゃないかしら、と申し込んで行ってきたのですが・・・
開講前にメール連絡で宿題が出されていました。
くるりの新曲「最後のメリークリスマス」を聴いてくること。
ちゃんと、何度か聴いていきました。
しかし・・・!!
「みんな、聴いてきたよね?じゃあ、どの視点から話していったらいいかなぁ?コード?プロダクト?」
What?!(○口○*) ポーカン
ゲスト講師の田中宗一郎さんが時間通りに帰らないと大阪でのイベントが間に合わなくなるということで、ばんばん進行する岡村さん。
「最初のコードはここでひとつ、次にまたひとつ、次にさらにまたひとつ下がってくんですよね」
講座に来ていた人たちはほぼ、普段のライター講座の受講生さんらしくちらほらと挙手・発表が始まるものの、音楽を聴くことは好きだけどそれを音階が~とかコード進行が~とかメロディのアレンジが~までは突き詰めて聴いたことのない私は本当にちんぷんかんぷん。
田中さん、岡村さんのお話はわからないなりに楽しかったのに、授業中、「今日は発表に当たりませんよーに!」と肩をすぼめて机の向こうに見えるつま先を眺める中学生になってました。
同時に、本当に音楽について書きたい人の本気度を生で感じられて刺激をびりびり感じました。
講座の最後。
実際に音楽評論を書く際に求められるのは「じゃあその曲、いいの?悪いの?ってこと。だから、最後のメリークリスマスは○○であるって簡潔に紹介してみてください。キャッチコピーを補完するだけの説得力も必要なのでそのココロも述べよ」というお題が出されました。
すっかり借りてきた猫状態の私はもじもじしてる間に講座時間終了になってしまいまして、後悔先に立たず!
受講生さんからは
「銭湯である」
「中継ぎ投手の投げるストレートである」
「色鮮やかなざっくりと編んだセーターである」
などなど、なるほどーと思える発表が続々。
私がぼんやり考えていたことは、その中で「雑踏(の風景)である」と発表した方にいちばん近かったかなと思います。
今、こんなとこに書いてもあの場で発表しなかったから意味がないのだけど(汗)私が考えたことを書きますね。
「最後のメリークリスマス」は家路に向かう曲である。
自分はあの曲を聴いた時に、歌詞はほっとんど記憶に残らなかったんです。だから、なんかちょっと違うニュアンスで感想を書いてしまうかもしれません。
YouTubeで期間限定でアップされていたPVが、くるりが3.11後、継続的に訪問していた東北の方々との演奏風景の映像だったのです。
あたたかい火と囲んで、みんなが笑顔な「最高にあったかいPV」。
ララララララってコーラスと、PVばかりが印象に残りました。
3.11後、さも当然のように、でもいきなり口にされ、目にするようになった“絆”という言葉。
賛否両論あった言葉だったと思います。
今となっては、すっかり落ち着いて、自分も他人と心身を共感させられる関係って素敵なことよね~と憧れるようになってたりなってなかったり。
そんな絆を感じるのは親かもしれないし、兄弟、仲間、恋人、家族、ソウルメイトかもしれない。そういう“誰か”と一緒に聴くために家路に向かう曲。
最後に入る第九のメロディ、あれなんかはもう日本の典型的な年末年始連想曲ですし。
これを主観ではなく、ちょっと離れたところから(たとえば空からとか)眺めている。傍観している。そんなイメージが浮かびました。
実際の音楽評論はこのキャッチコピーから、じゃあそれを表現するためにミュージシャンは同じギターの中でもこれを選んで、ベースではなくこれを選んで等々と展開していくのですね。
田中さんによるインタビューはくるりの特設サイトに掲載されています。
今回は田中さんの「最近の音楽評論は書く形式にこだわりすぎているんじゃないか。なので、書く以前に考えることを話したい」という意向で上記のような発表もありました。
(本当にそうしていただけてよかったと思いました。笑)
最後に、この日のたくさんのお話の中でこれからも胸に止めておきたいことを書き留めておきます。
・作家に対してインタビューを行ったジャーナリストは基本的に何を書いてもよい。そこにジャーナリスト独自のクリエイティブな見方と、書くことによって他人を動かすだけの意味があれば。
・書きたいと思うことがなければ書いてはいけない。書くスタイルが決まっていなければ書いてはいけない。
・文章を読んでくれた人に何かしらのロイヤリティを感じてもらわなければならない。
普段、まわりに「文章を書きたいんだ!書いてやるぞー!」という野心に燃えているリアル同士がいないので、この日の心臓びくびくの2時間講座は本当に心身を揺さぶられました!
実は、ロックバンドのライブ会場とSNSを通じて知り合い、今では物書き同士となった東京のお姉さんと来年の春に同人誌(オリジナル小説)を発行しようという企画が動いています。
来年の私の大きな目標のひとつ。
そんなこともあり、すごくいい経験をしてきたと思っています。
あっ!
そういえば、この講座が終わってからくるりが今、3人体制だってことを知りました!(今更…)
5人になったのを先週知ったのに…(だめだこりゃ)
【ふたつめ】『幽霊の技法』ワークインプログレス公演
12月22日(日)、京極朋彦ダンス企画 新作ソロダンス公演『幽霊の技法』ワークインプログレス公演@京都・初音館スタジオ。
来年1月の公演に向けて、制作途中の作品を発表した「ワークインプログレス公演」でした。
「ワークインプログレス」は元々はアート用語だったのかな。
途中経過を見せる、という行為はちょっと勇気のいる、でも、とても有意義なものだなぁと思います。
この日は約1時間の内容で、前半は作品を作るためにどのようなことを行っているかを解説。後半は実際に作品を鑑賞。
ダンスも不思議な感じでよかったのだけど、今回は解説時間の方に興味を引かれました。
京極くんが幽霊という題材に興味をもったきっかけや、題材をダンスに仕立て上げていくまでにダンス以外のどんな作品や人に出会い影響を受けたのか、その影響を受けて作品にどう生かしていったのかが順を追ってスライドに映し出されていく。
京極くんの経験・思考の過程を見ることができた、という状況が面白かった。
制作過程でいろいろなものに出会ったことによる感動や疑問によって作品が完成する。
つるんっと順調に作品が産まれれば、それはそれでよいに越したことはないです。
難産の場合、その過程を振り返っていくことこそが重要になってきます。
しかし、人間の記憶というものは日々風化していくもの。
作品って、本当にささいなヒントで変わっていくし、「あの時ああ感じたからこういうかたちを思いついたんだけど、アレ、何だったっけ?」って時もあります。
備忘録としても、やっぱり記録を残しておく(=書くことに至る考察を記録する)という行為は大切なんだなぁーと、この日改めて感じました。
記事を書いているのはこんな人です。 shiba-fu.hatenablog.com
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