【2015年10月8日】
今年も京都市東山青少年活動センターで『ココロからだンス』ワークショップの参加者募集が始まっていたので、2014年に書いた記事をリライトしてみました。
10年間続いたこのワークショップ、そして私自身も3回受講して、アシスタントとしても参加した思い入れのあるワークショップ。
今年で最後ということなのでまずは今回のワークショップ情報を先に掲載させてください(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
学校もあるし、バイトもあるし、仕事もあるし・・・参加者さんにもいろんな事情があります。
私も仕事をしながらこのワークショップに参加。
私の勤務地は滋賀県でしたがワークショップの日は定時ダッシュ~京都駅から自転車爆走でセンター入り、毎回1時間遅刻しての参加でした。
他にも仕事をしながら参加していたメンバーはいましたし、その点は説明会の時にスタッフさんと相談できます。
こういう相談ができたり、スタッフさんや東山青少年活動センターの雰囲気もわかるし、他の参加者さんにも会えます。
まずは説明会に参加されるのをおすすめします。
ダンスを使った自己表現を体験するコンテンポラリーダンスワークショップです。
創作ダンスの経験が少ない人たちが、参加者同士のコミュニケーションをもとに
講師の裏方の人達との協力関係を大切にしながら、
4か月近くかけて一つの作品を創りあげ、公演を行います。
~こんなワークをもとに創作します~
●背骨が丸まる、反る、ねじれるという動きをベースに、身体のポジションを知ったり、全身の動きにつなげることでていねいに知っていきます。
●筋肉が伸びる、縮むといった原理を体験します。
●他者との接触によって受けるお互いの影響から、新鮮な動きを導き出します。
●日常の中の制度(ルール)を発見しその基準をつくり直していきます。
日時:2015年11月26日(木)~2016年3月10日(木)
毎週月・木曜日 18:00~21:00
説明会:2015年11月19日 19:00~20:30
参加対象:京都市にお住まいか、京都市内に勤め先・通学先のある13~30歳までの方でダンス経験は問いません。
募集定員:15名
参加費:25,000円(全30回のレッスン、公演費用全て込み)
ナビゲーター:佐藤健大郎(振付家・ダンサー)
アシスタント:福井幸代(ダンサー)、川瀬亜衣(ダンサー)
申込方法:10月15日(木)13時より電話、メール、直接来館にて
※詳細は下記リンクよりどうぞ
【参考 インタビュー 】
佐藤健大郎氏(ダンスWS6月講師)×高杉征司(舞台芸術協会理事)対談 | NPO法人 京都舞台芸術協会 – Kyoto Performing Arts Organization
▼▼▼以下、2014年3月27日にアップした記事です▼▼▼
12月から約4か月間参加していたコンテンポラリーダンスワークショップ『ココロからだンス』(京都市ユースサービス協会・東山青少年活動センター主催)のスタジオパフォーマンスが終了しました。
ワークショップ自体は明日のメンバー反省会をもってオールアップとなるのですが、その前に自分自身で4か月間を、というか自分がダンスに関わることについて振り返りたいと思います。
コンテンポラリーダンスであることについて
からだを動かすことはわりと好きな方でした。
小中学生の時にモダンバレエ、ジャズダンスとポワント(トゥシューズ)をちょびっとずつかじって、高校~大学時代前半に小劇場系ダンス(芝居の中でのダンスシーンってあれでひとつのジャンルになってると思うんですがどうでしょう?!)、現在は大学入学を機に始めた仕舞・能楽に落ち着いています。
コンテンポラリーダンスには9年前くらいから関わり始めました。
そのきっかけになったのが、今回参加した『ココロからだンス』というワークショップです。
(実のところ、私はこのワークショップの第1期・2期にも参加していました)
大学4年間どっぷり部活動として仕舞・能楽に浸かっていて、卒業してからも先生のところにお稽古に通い始める中で
「型が決まっている舞だけをやっていていいんかな。自分自身のからだの可能性を広げた方がいいんじゃないのかな」
なんて今となってはなんと調子こいたことを!ということを考え始めた時期に、紹介されたんですね。
「型がない」ところで動く
それを体験するならコンテンポラリーがいいのかな、と思ったわけです。
コンテンポラリーダンスって何なんだろう
一般的な定義として「身体や動きそのものを自由な発想で表現したもの」と言われているようです。 というわけで私自身、時たまダンスの公演を観に行っても、自分でワークショップに参加してみても、イマイチはっきりと「理解した」という感覚はありません。 こういうものに触れた経験のない人ならなおさらだと思います。 それでも、なんとか観たり参加したりする理由を見つけるならば「その場で起こっていることを見て、感じて、想像する」ことに興味があるからでしょうか。
一緒に踊る人が投げかけてくる動きを受けて、自分が受けた感覚を動きとして返す・・・。
その応答がぴったりはまれば振付として固定もするし、まだまだと思えば動きは毎回変化を繰り返す、まさに実験的なからだと場所。 逆に、腑に落ちなければ動けない。 「今ここで行われていること」に反応するからだを楽しむのがコンテンポラリーダンスなのかな、と今は思っています。
伝統芸能とコンテンポラリーの間で
コンテンポラリーと仕舞と、そこそこの期間を続けてきた今だからこそ、今回のワークショップで共感したこと。
・からだによる共通言語の存在
集団内のメンバーならば詳細な説明がなくても通じるからだの動き。
こういうものが集団においての「型」になっていくんだろうなということを実感。
・からだを「見取る」感覚
今回のパフォーマンスは他人のからだの動きを写し取る、鏡のような動きが多用された作品となりました。
他のワークショップ参加メンバーからの感想で印象的だったのが
「他人を“見る”ということは、単に自分の目で(視覚的に)見るという意味ではないんだ」
というもの。
YES!!
作品の中での鏡の動きは、実際のところ、相手を完璧にコピーしたものにはなっていません。
相手から出た動きから受けた印象を、自分のからだの中におとして再現・発展させると表現したらよいのか・・・ちょっとわかりづらいことを書いていますが。
これ、ここ数年の間に見つけた、普段の舞のお稽古中私がいちばん好きな感覚です。
先生が自分のすぐ脇に立ってお稽古してくれる時こそ「やった~♡」タイム。
稽古場には鏡がないので、先生の動きを正面からは見れませんが、傍に立つと摺り足の速さ・重さとか、腕を開く時は腕と胴体の間
どれくらいの空間が開くのかとか、言葉では何とも言えない感覚をしっかりと感じ取ることができます。
・開かれたからだ
内面的なものを表現することが多いなーと感じるコンテンポラリーダンス。
うっかり舞台上で動くからだにばかり集中してしまって、観客席があることを見失いがち。
「舞台と観客席の間に壁ができてる!」と注意されることもしばしばでした。
そこで教えてもらったごく簡単な対処法は、観客席を意識すること。
そう。
ダンサーである以上、私たちは見られている。
これも能舞台にあがっている感覚と同じ。
能舞台は正面と横から、2方向に見所(観客席)があるので外からの視線を意識するのは慣れています。
「見取り」のことと言い、コンテンポラリーの場で言われたことを自分のホームグラウンドに繋げて考えることができるのは非常に便利なことでした。
ワークショップで得られたこと
他人と関わることの難しさを体感
「自分はこれだけやってるのに、どうしてみんなそんなに人任せなの?!」とヤキモキ。
「なんとなくみんなモチベーションが下がってる・・・この流れに乗ってしまったら創作の場の空気が滞っちゃうよ」とモヤモヤ。
「自分が言ったこと、みんなに伝わってるんやろか」としょぼーん。
それでも、言葉で、態度で示していかないと意思の疎通は充分にできない。
たとえ示していたとしても完璧にできないことなのだから、ここは自分で気を付けていくしかない。
普段の生活ならばなんとなく波風立てずに済ませてしまっていることだけど、あえて荒海に乗り出していかなければならないどきどき感。
しかし、見ていてつくづくすごい場だなと感じたのはラストの本番終了後、泣き叫ぶように言い合いをしていた子たちが打ち上げ時には他のメンバーを含めて「あの時のあの言葉のチョイスはセンスないよ」等々反省会を繰り広げていたことです。
表現者は常に冷静でクリアな視点で状況を見なければならない―そんな感性も育つんですね。
こっち側とあっち側の境い目に身を置くこと
ユニゾンやデュオ等、他人と動くとき。
自分ひとりで動くときでも、集中の度合いというか、「あー今、自分は段取り通りに動いているけれど自分のからだの感覚も自覚的に持っていて、観客席も視野に入れている。他人の動いている状況も見えてる」と感じられた場合でも、何かの拍子に意識を途切れさせてしまったらすべてが吹っ飛んでしまうという糸をぴんと張ったような状態が出てきます。
日常的なからだ・精神状態と、舞台でパフォーマンスをするからだ・精神状態のきわきわに身を置く体験は、ちょっと特別でいいものなんじゃないかなと思います。
その他、雑感
過去に参加したことのあるワークショップだっただけに、「自分が受けていた時とちょっと雰囲気やワークの進め方が違うなあ」なんて思ったりしてしまったのですが、それって、過去を振り返ってばかりいたってことなんですよね。
ということに、本番間近になってから改めて気づきました。
大切なのは常に「新しいページをめくっていく気持ち」。
打ち上げ時にナビゲーターの佐藤さんに「あなたのからだは異様!」と言われました。
たとえば、お互いのからだについていく、距離をつめるというような場合、だんだんと近づいていくとか急に距離をつめるとかではなく、気づいたらそこにからだが現れているというような印象があったと。
なにそれ、幽霊ですか?忍者ですか?
でも、なんか変ということでも自分のからだが他人に何かしら印象を残せたっていうのは、それはとっても嬉しいなって。
「今ここで行われていること」に反応するからだを楽しむ
状況で遊ぶ
遊びをせんとや生まれけむ,戯れせんとや生まれけん,
遊ぶ子供の声聞けば,我が身さへこそ動(ゆる)がるれ
―梁塵秘抄―
遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう。
ダンスや舞に限らず、遊び戯れるココロとからだと共に生きていきたいと思いました。
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第1期からの『ココロからだンス』の記録はこちら(東山青少年活動センターのブログ)
京都市東山青少年活動センターの創作ダンス事業の概要についてはこちら
記事を書いているのはこんな人です。 shiba-fu.hatenablog.com
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