東京、LA LA LAND

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雨宮まみさんの訃報を目にしてから早くも半年近くが経とうとしています。
(亡くなられたのが坂本龍馬の誕生日/命日を偲ぶ龍馬祭と同じ11月15日だったのでなんとなく覚えているのです)
ふと、雨宮さんの文章が読みたくなって手に取ったのが『東京を生きる』でした。


先月の女子会中、40代実家暮らし独女と半分本気・半分冗談で「老後はあなたのお家をリフォームして一緒に暮らそう」と笑い合って過ごしていたからかもしれません。


老後の約束をした彼女と私は、お互い世間的には「もう若くない独身女」としてカテゴライズされ、自らもそれをネタとして扱ってしまっています。
それでも彼女の方は前向きに毎日「結婚したい! 結婚する!」と唱えているので私の先をゆく「明るい独身女」として尊敬しています。

三十五歳を過ぎて、私は、自分より年上の女性ばかりを見つめるようになった。
年上の女性に、私は希望を見ている。自分がそんなふうになれるとは限らないけれど、「年寄り」なんかではない「女」の姿が、ごろりと目の前に差し出されていて、それは、どんな侮蔑の言葉も寄せ付けない。(p.143)


雨宮さんも、私にとってはそんな「私の先を歩いてくれているちょっと年上の女性」でした。
女子をこじらせて』『だって、女子だもん!!』以降、いくつものweb連載を読みながら、自ら地元を遠ざけ、独身で、働き、ひとり暮らしをしながら自分の好きなことだけにお金を使って生きている先輩女性雨宮さんが東京にいてくれていると思うだけで、なんとなく、根拠の無い安堵をしていたものでした。


話は飛びますが数年前、結婚が決まったと報告しに来てくれた男性同僚から、報告の後で「僕はDさんにも幸せになって欲しいんですよ~」と屈託ない笑顔で言われた時の気持ちを共有できたのは、東京にいた雨宮さんでした。(もちろん私の妄想の中で)
近くの既婚女子友よりも、東京にいる雨宮さん。

「そんなことしてたら、ずっと幸せになんかなれないよ」
そう言うときの人の顔が、いちばん醜いと思う。幸せという言葉で他人を脅迫するときの顔。幸せの基準を一方的に押しつけるときの顔。
何度でもそんな言葉を投げつけられてきた。親身になって、優しさで言ってくれていると理解できることもあったけれど、それでも嫌悪感は消えなかった。(p.185)


雨宮さんは著書やwebでのみ存在を確認できた遠い人。
同時に、文章を通じて彼女が世間に感じていた疑問や憤りに共感もしていたので、どこか近しい人でもありました。
そんな彼女が「東京」にいるということは、それだけで特別なことでした。
私自身の大学進学の際には「遊びに行くにはいいだろうけど、住むにはしんどそう」と言って敢えて避けた街なのに、結局、演劇、アイドル、音楽・・・他にも自分が好きなものは全て東京にあったと、東京から離れてからよくよく実感したものです。


東京は、地方からは手が届かないものが当たり前のようにたくさんある場所。
でも、いざ、行ってみると行きたい・欲しいと思っていたものがありすぎて身体と気持ちが追いつかないまま帰ってくることになる、蜃気楼のような場所、夢の国、LA LA LAND。


常にいろんなことが流れてゆく街の中で、「私は私です」と踏ん張り自分の欲望に肯定的に暮らしていた雨宮さん。
雨宮さんが私の4年先を歩き、新しいことに挑戦してくださっているのが単純に嬉しく、私もそうしたい~と羨ましく思っていました。
いつかは東京の雨宮さんのようにしっかりと自由に自分をもつことができるかしら? と思いながら彼女の体験・思いを読むことでたしかに力をもらっていたのです。
わたくし事ですが、昨年末の冬コミでコスプレ復帰をしたのもwebエッセイ「背中見せていこう!」を読んで、自分も恥ずかしがらずに思い切って背中見せていこう! 年齢を言い訳に楽しいことを諦める若い子が減りますように! と思えたからです。


「40歳になったら、死のうと思っていた。」


そんな不穏な書き出しで始まる、「背中見せていこう!」を含むweb連載『40歳がくる!』は、今もっとも共感できるエッセイNo.1であり、これから数年間のうちにもっとも読み返していくだろうエッセイNo.1です。



https://www.pakutaso.com/20160156008post-6568.html


東京で生きていた雨宮さんはもういません。
でも、その残像は消えることなく、これから40歳に向かっていく私とその他たくさんの女性たちの中ではよりしっかりと存在感を増していくことでしょう。
雨宮さんが示してくれると思っていた40歳から向こうの世界は、自分で切り開いていかなくちゃならないから。
「40歳の1年間」を終える時、雨宮さんにどんな報告ができるのか-
思い残しのないOVER40を迎えるためには、毎日を魂に正直に生きていかなければなりません。
たとえその道が世間一般的にはふわふわした頼りないものであっても、その時々で自分で考えたものであればきっと大丈夫だと思います。

友達と集まってお酒を飲んでいたとき、誰かが「ねぇ、みんな貯金してる?」と言い出した。独身でこのまま生きていくのに、マンションも買えないのってまずいんじゃないの、とか、普通はいくらぐらい貯金してれば安心なの、とか、本当に怖い話をみんなで分かち合い、笑う。
泥酔した友達が、「魂に正直に生きるんだよ!」と立ち上がって叫びだし、店にいるほかのお客さんからの喝采を浴びる。
貯金もないくせに、私はおいしいものを食べ、好きな服を買い、お酒を飲み、本を買い、香水や化粧水を買い、美術館や映画館に行き、上等なタオルや石鹸を使い、自分のものにはならない家のために家賃を払って生きる。
どこまでが分相応で、どこからが分不相応なのか、私にはわからない。
いつか、そういう堅実ではない生き方に、天罰が下るだろうか。
砂の上を、幻を見ながら歩いているような暮らしに、破滅が訪れるのだろうか。
来るなら来ればいい。私はそれまで、魂に正直に生きる。破滅が訪れることよりも、破滅に遠慮して、悔いの残るような選択をすることのほうがずっと怖い。(p.210)




途中から『東京で生きる』から話題が逸れてしまったけれど、今日はこんな感じで雨宮さんに思いを馳せていました。