オーケンさんの『FOK46 突如40代でギター弾き語りを始めたらばの記』を読みました
FOK46とは・・・
「・・・オーケンがAKB48に入るの?」
「じゃなくて、FOK46・・・フォーク・オーケン46歳って意味さ。弾き語りの時の限定名称だよ」
「ふ~ん・・・FOK46ね・・・センターは誰?」
~本文より~
筋肉少女帯や特撮のボーカリストでありつつ、実は楽器を弾けない大槻ケンヂさんがひとり、ギター1本を担いで全国46都道府県を廻ろう!という期間限定の企画ユニットがFOK46でした。
私もブースカと一緒に京都でのライブに行きました!
小さなカフェ&ライブハウスに「あ~どうもどうも」とのほほんと入ってきたオーケンさん。
ライブ中も楽譜が見えない!(老眼)とか、今からトイレ休憩!とかここは町スタかっ?! 自宅かっ?! という緩さで進行していったFOK46は本当にのほほんとしていて、オーケンさんもすっかり丸くなったねぇ~なんて、なんだか感慨深いものを感じたライブでもありました。
そのFOK46を始めちゃうまでのこと、最中、その後についてのエッセイなのでまぁいつものエッセイのように「もう本当にオーケンはしょうがないなあ(笑)」ってくすって笑っちゃう感じの内容かと思って読み始めたら、自分ももうすぐ40代ということもあってか、妙に心にじんわりきてしまう内容で「ズルいよオーケン、でもそんなあなただから大好きだよ!」と胸がきゅうぅんとしてしまった1冊でした。
エッセイ以上小説未満の妙な一冊ですが、結局書いてあることは、まえがきからぶっちゃけて著者自ら言ってしまうと、有限の人生の中で、でもどこからでもいつからでも人は新しいことを始めることがきっとできるのだと思うし、そう思ったほうが楽しいよ、という、おせっかいです。
~まえがきより~
踊る赤ちゃん人間
私が人生において初めて読んだ大槻ケンヂさんの著書は『新興宗教オモイデ教』でした。
中学生だった私は主に「わーなんだかキモチワルイなこの本」という感想だけを持ち、その後しばらくオーケン著書からは遠ざかったいたのですが大人になってからまた手に取るようになり、全部とは言いませんが、気が向いたらなんとなく読んでは笑ったり泣いたりしています。
笑ったりの部分は本当にオーケンさんのしょーもない、どう考えたっておかしいだろそれ的な体験談を読んで思わず吹き出しちゃった的なそれであるのですが、泣いたりの部分はエッセイだったらオーケンさんが、小説であればその登場人物たちが愛おしくて、自分はまだ出産したこともないし子どももいらないなーと思っていたりするのですが、もし子どもがいたらこういう愛おしさ切なさを感じてしまうんだろうなー的な感情がある瞬間にぶわっと!おわっと!噴出してしまうそんな感じに襲われるのですね。
シビアな現実あるいは逆境、あるいはそれは単なる日常生活なのかもしれないがそれも含めたセカイに翻弄され、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる、まるで踊るように揉まれ浮き沈みする、ピュアすぎる感性をまるごと抱きしめてあげたくなるような感情とでも言えばよいのでしょうか。
大丈夫大丈夫、そう言いながら柔らかな毛布でしっかりとくるんでミルクを飲ませてあげましょう。
人間、いくつになってもそんな赤ちゃんの部分を胸に潜ませて日常を踊っているのです。
だからこそ、そういうところを突かれたオーケンさんの文章に出くわすと不覚にも胸の奥がざわめき、きゅんと鳴るのです。
ああ、私だってまだ赤ちゃんでいいんだ。
そう思っていいですよね?
ただ実人生においては、40代はいつでも心の中にアウェイ感がいる。“有る”のではなく“いる”。棲んでいるのだ。
それはどんな年齢であってもそうだろう。
ただ40代のアウェイ感は、もう若者とは呼べず、老いたというには早過ぎて、わずらわしい。自分で自分に「知らんがな」とつっこんでやりたい漠然としたこの疎外感は、社会において、自己において、いろんなことにおいて40年熟成された思いなのであり、今現在の仕事やなんやらの好不調とは別であるような気がするのだ、
『オレはこのままでいいんだろうか? よかったのだろうか?』
『オレはこの先何がやれるのだろうか?』
~本文より~
50代以上となれば、死はおそらくリアルだ。
10代20代にとっては幻想的であるし、30代ではもうひとつピンと来ない。
その狭間にいる、メメント・モリがプチリアルである40代は、死に接した時、そろそろ、死が意味するところの生を自分の中で価値として基準立てしようと試み始める。
その想いが、時に他者の不意の死を、自己を中心に後々意味合いを帯びてくる事項として捉えようと無意識が試みるのだ。
試みて、言葉となって「なぜ自分だけが生き残ってしまったのだろう」と口をついて発せられることになるのだ。
~本文より~
このエッセイが今まで読んできたエッセイよりも切なく愛おしく感じてしまったのは、裏にこういった死の意識があったからだとは思います。
メメント・モリ―死を忘れるな。
死を意識しつつ、自分はまだ何もできていない、しかし、きっとこれから何かが始まって何かを残せるはず。
40代でもまだ中二病は治らないのだから、人生の先輩だってこうなのだから、私が日々いろいろなことで惑うのは仕方ないんだ。
人生、そういうもんだよ。
オーケンさんの言葉を、めめんと森に分け行ってしまった時のパンくずにしたいのかもしれない。
「オレにすがられても、どーしよーもないよ」
そう、言われるだろうけど。
高木ブー伝説
人生の先輩であり、また、中二病の先輩でも、まだ生きているので気持ちの浮き沈みもあるわけで。
オーケンさんなんか、若い頃はマジックマッシュルームなんかキメちゃってガチでラリってたこともありましたよね。
それ以降もちょっと沈んでた時期もあったようで、そんな時にマネージャーさんから言われたのが「ケンちゃん、人生、笑ったもんが勝ちやでえ」という言葉だそうで。
本当にありきたりな言葉ですが、年を経るごとに、最後に楽しく毎日を生きられている人は、ちょっとヤバいなこれって時にでも、身に降りかかってきた理不尽な事にでも笑える人なんじゃないかって思います。
オーケンさんの昔のエピソードで好きなのが、若かかりし頃『高木ブー伝説』という曲を出した時、当然、ご本人の耳にも入っていやこれマジで訴えられるんじゃねえ? ヤバくね? て時にブーさんの方から「若い奴がバカやってんだからいいじゃない」って言ってくれて事なきを得たっていうやつです。
どっちかっていうとこれ、器がデカいぜブーさん! てエピソードなんですが、今のご時世にこそこんなおおらかな空気感が欲しいですよね。
ロコ、思うままに
最終的に、この本を読んで何がよかったのか、感想として何を伝えたいのかってことなんですが、いちどきりの人生、折り返し地点がちょっと先まで見えてきている年代になったからこそ、思うままに生きる勇気を持ちたいなってことでした。
いいことばかりが起こるわけはない。
でも、転んで傷ついてやりきれなくても、最後にはきっといいことしかない。
転びまくってる先輩がエッセイを通してそう言ってくれているのだから、信じてもいいんだと思う―。
そうそう、読んでいてやっぱり楽器ができる人ってそれだけでカッコイイよな~と思いまして。
今から何か始めてみようかな、なんてうきうき考えちゃったりしたわけですけれども。
とは言え、楽器っていざ買って始めても飽きちゃった時のことを考えると二の足を踏みますよね。
数年前にふと思い立って尺八教室の体験お稽古に何回か通ったことがあったんですがもちろん音は出ないし、引っ越しもあったのでそのまま疎遠になって終わりました。
体験ですらそれなので、やっぱり買うなんてもってのほかです。
買ってしばらく練習して楽しかったのがあった。
アレアレ。
オタマトーン♪
オタマトーン、実は高度な楽器でした。
そしてこれも数ヶ月弾いて飽きちゃったパターンorz
そういえば、ちょっと前に学研の科学雑誌に手作りギターが付録でついたことがあって、これなら出費は3,500円ポッキリ!
大きさもちょうどよく部屋に置いても邪魔になりません!
そうだそうだ、よく思い出した自分。
これならちょっとギター体験にもってこいだよ。
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と、ここまで調べてから気づきました。
私がいま弾いてみたいの、津軽三味線だった!
ギャフン!
最後に。
アンコールという名のあとがき「少しだけしゃべるギター」は(いつもながら)反則ですよ!
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