『元禄港歌』―2016年、今年の“猿”始め―

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Twitterタイムラインで、先月の東京公演についてのアツい感想がどんどん流れてきて、それを読むにつけて観劇が待ち遠しかった『元禄港歌-千年の恋の森-』。
始まりました、大阪公演。
昨日、やっと観ることが叶いました。





いっぱい涙こぼして、洟すすって、双眼鏡で好きな役者さんウォッチして・・・「演劇を観たなーーー!」という満ち足りた気分での帰り道。


17時開演で19時35分終演。
これ、嬉しいね!
21時過ぎには家に帰れる。
土日は17時開演、これは増えてほしい。


やっぱり女形の猿之助さん、大好きだなあ!
若くないお役っていうのがまたいい。
先月買った双眼鏡でがっっっつり追わせていただきました。
目が見えない瞽女さんのお役でしたが、だからこその繊細な仕草と表情。
“再会”シーンは猿之助節全開で泣かせていただきました。
今回は、泣くために観に行ってんだよ。

双眼鏡で役者さんを追うって今までしたことなかったんですが、その魅力に今更ながら感動しました。
「この人が出てるから観に来たのよ!」というお芝居だからですかね。
でも、このお芝居はまるっと全体をしっかり目に焼き付けておきたいお芝居だったので、観察対象をひたすらウォッチする「野鳥の会会員」にはなりませんでしたよー。
その意味では2階席の後方というのも、今回は良かったかなーと。



あの三人には光の道筋が見えているに違いないけれど、かなしい。切ないすぎる。
でも、美しい。
全編通して美しい。
役者さんのたたずまい、椿の花、潮騒、三味線や囃子の音と声・・・。


私の場合、お芝居にしろ、絵画にしろ、映画にしろ、なんにしろ「ああ、良かった・・・」と思えるものはそこに“美”があったかどうか。
そこな気がします。
その“美”が“悲哀” “醜悪” “惨”だったとしても。



それと、テレビなし生活をしているので、毎回しみじみ「生の舞台を観に来て良かった」と感じるようになりました。
主にTwitterで観劇情報を得ていますが、それってかわら版や浮世絵を見てうきうきする昔の人みたいな感覚で。
それを眺めながらお芝居を心待ちにして、生で観る。
動く役者さんを見れるのはその劇場、その時間でだけ・・・なんか、あえてそういう見方をするのが楽しくなってきました。



【今回のノート】

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舞台の上で起こっていることの“目撃者”になるっていう感覚がとっても演劇的で。
高校生の頃に観に行った状況劇場テントの感覚を思い出しました。


パンフレットの猿弥さんインタビューページで、猿翁さんのことが触れられていてじんわりしました。
猿翁さんも蜷川さんも、ロマンの病にかかってるのですものね。

瞽女さんの物語ということで私がぱっと思い出すのが、『はなれ瞽女おりん』。
今回の観劇前にも観たくなってDVDを借りてきていたんですが、『元禄港歌』とは違った味わい。
社会の底辺にあったがゆえに繋がった男と女の縁。
おりんのね、「まぁそういう辛いこともありましたぁ」というカラッとした雰囲気が、時代というか、「はなれ瞽女」の宿命というか、やるせなさを募らせます。
おりんの最期の描写もまた・・・。
水上勉さんの原作を映画化したもので、瞽女さんのしきたり、映画で使われる小物、風景を切り取るカメラワーク、どれもしっとりと心に積もってゆく映画です。

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