構想20年「今、撮らなければ」と監督が自主制作に踏み切って撮影された映画
だいぶ前にネットニュースで塚本晋也監督の次の作品は戦争の映画だということを知って以来、京都で公開されたら絶対行こうと思っていた映画でした。
塚本晋也監督といえば
私が観たことがあるのはこの3作品だけなのですが、なんというかキモチワルイ(悪い意味ではなく)圧倒的な、なんともいえない湿度のある世界を撮るー観てしまったら忘れられない。
そんな作品を世に送り出している方です。
10代の頃、この作品と出会った監督は文字の描写がそのままリアルに、眼前に迫ってきて相当のめり込んで読んだそうです。
映画を撮るようになり、明確にこの作品を映画化したいと公言するようになったのが30代の頃。
資金やスポンサーなどの問題、表現形態の問題などもあり、完成したのが2014年。
安保法案が問題となったり、表面上とても平和だけど本当にこれがこのまま続くのか100%信じきれないかもしれない時代に突入している今、この映画が出来上がった意味があるんじゃないかと思います。
圧倒的な自然の美しさの中に蠢く不可思議な人間(あるいはゾンビ)
最近のあまりの暑さに体力落ち気味だし、原作読んだことないけど大岡昌平って難しそうだし、そもそも戦争モノって今までそんなに率先して観たことないし、途中で眠くなっちゃったらどうしようかな~なんて思いながら映画館へ行ったのですがまったくの杞憂でした。
最初から最後まで衝撃を受け続け、文字通りずっと目を見開いてました。
第二次世界大戦中、戦場となっていたことが信じられないくらい美しいフィリピンの自然の映像。
鮮やかな紅い花、真っ青な空に真っ白な雲、濃く深い緑。
悠久の美です。
観光で訪れたなら楽園、というような風景。
しかし、その美しい映像の合間に繰り広げられるのは目を覆いたくなるような人間同士の争いです。
アメリカ軍と日本軍の戦闘シーンはありません。
ひたすら死に向かっていく人間の描写です。
機関銃の一斉射撃に遭いただの肉塊に変化していく人間。
死にきれずゾンビのようにさまよい歩く人間(本当に中盤はこれゾンビ映画ってくらい土気色の人間がドロドロ歩いてました)。
そこで生き延びても炎天下の中、受けた傷が腐り蛆がわき、やはり肉塊へと変貌を遂げていく人間。
なんだ、これは。
この映画には「お国のために!愛する人のために!」と涙しながら散っていく若者は出てきません。
何のために戦っているのか、はっきりとした目標が見える描写もありません。
あるのはひたすら主人公・田村が目にした風景。
それだけを追った映画です。
ひとりの人間が見た風景を、観客は追体験することになります。
なんだよ、これ。
これが戦争。
戦争を体験したことはもちろんない、戦後の私たちが「なんだよ、これ」「こんなの、嫌だよおかしいよ」―そう感じるだけでも観る意味のある映画だと思いました。
映画の後は『塚本晋也×野火』を
上映後のサイン会にも参加!
京都シネマでは8月1日から上映が始まり、そして初日初回には監督の舞台挨拶がありました。
もちろんコレ狙いで観に行きましたが、立ち見が出る程の盛況で余裕を見て早くに家を出てきて本当によかった。
京都シネマ、人気作品だと入場がほんとに上映開始間際になるくらい並ぶことになるので行かれる方はご注意ください。
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京都シネマでのようすもアップされています。
その舞台挨拶中で紹介されていたのが『塚本晋也×野火』という本なのですが、映画を観て衝撃を受けた方は読んだ方がいいと思います!
こういう映画付随の本って、写真メインになっていたりするイメージがありますが、こちらは文章メイン!
監督からのメッセージや対談はもちろんのこと、著名人からの寄稿も目次を見ただけで「濃いな・・・」
「ただ「愚かしい」のが戦争だ」田原総一朗
「『野火』は塚本晋也監督の25年に及ぶ進化の最終地点を示唆する」宮台真司
「戦争映画に久しくはぎとられていた身体性をみる」篠田博之
「スクリーンの兵士たちの姿は今も続く現実の中にある」ヤン ヨンヒ
「『野火』、人生ふたつ目の火傷」小島秀夫
「蛆と兵隊」篠原勝之
「野火と塚本スタイル」島田雅彦
さらに「図解:第二次世界大戦・太平洋戦争・レイテ戦」、絵コンテ、注釈ぎっしりな完成台本。
劇中出てきたイモの解説まで。
人間の、日本の歴史の中にこういうことがあった、ということを知るひとつのきっかけになる本です。
原作も読んでみたい。