読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『持たない幸福論』

読書
スポンサーリンク

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』(幻冬舎)、kindle版を予約していたので26日にタブレットを立ち上げたらすぐに読めるようにスタンバイされていました。
kindleはこういうところが便利だな。

phaさんの本は『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』『フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』も読んでいる。

ニートという言葉を前面に出してきているけれど、phaさんが使うニートという言葉にはネクラ、ヲタク、社会不適合者、自己チューなどなどそういった負のイメージは感じられない。

この本は、本で得られる知識と、僕の怠惰な生活と、お金がなくてもいろんなことをやっていく具体例みたいなものの三つを、シームレスに繋げて混ぜ合わせて、えきるだけ読みやすい文章で説明してみた、という感じだろうか。(あとがきより)

「普通の大人は学校を卒業したらこういう生活を送らなければならないもの。そうでない人はちょっとヘン」―そう括られてしまう今の世の中に「そんなにぎちぎち働かなくても、枠組みに収まる努力をしなくてもなんとかなりますよ」と、ひとつのライフスタイルを提案した書。

読んでいる最中、大学時代に同じ学科だった子を思い出した。
すごく真面目な子で、成績も良くて、何も問題なく卒業できたのにからだの不調が理由で正社員としてフルで働くことができない、と言っていた子。
その子が卒業後、どういう進路をとったのか聞いてないからわからないけれど、そういう人も確実にいるわけで。

そういう人も、いまサラリーマンしてるけどだるい人も、「こういうゆるい生き方をしている人もいる」とこの本を読んで枠組みの外の世界を知れたらちょっとだけ力が抜けるかもしれない。

私も「自分で実践するには勇気がいるけど、こういう生活もアリだよな」という感覚でphaさんの本を読んでいる。

家賃は友人とのシェアハウスで安く済ませているので月二万五千円(後述のシェア別荘含む)、光熱費や通信費が月一万五千円くらい、あとは月四万~五万円くらいを食費や娯楽費に使って生活している、という感じだ。

・・・あれ?!
私、phaさんと同じくらいの費用で生活してんじゃん!(笑)
とはいえ、私の場合は食費だけで三万円超、娯楽・教養費予算にもっとがっっつり予算取っているけど!
そこのところにもっとお金が欲しいから正社員で働いているのだ。
もちろん(シェアハウス暮らしだけど)ひとりで生活を成立させるためにも。

でも、もし生活の保証的な意味で不安がなければ派遣やパートタイマーという時間的にも責任的にもライトなところで「来週は旅行に行きたいからお休みをとろう」とかそういう調整できるライフスタイルにしてみたいものだ。

そう、この「生活の保証的な意味で不安がなければ」という考えが、ライフスタイルの自由さを狭めている。
今現在の生活もそうだけど、何十年も先の老後の生活を不安がって、どうして「いまの幸福」を得られるだろう。
みんな、先のこととか、今現在の状況に「もっと」を求めすぎている気がする。

以前『世界一幸せな国の97%幸せになる生き方 ~心が軽くなるブータン108の教え~』を読んだときにも「足るを知る」「他人と比較しないこと」で軽くなれるんだなと思った。

目の前にあることに対してひとつひとつ「感じる」感覚を大切に生きる、みたいなことだろうか。

周りと同調するために自分自身に「もっと」を強要する必要はない。

だるくなるから。

phaさんが頻繁に使う、この「だるい」という言葉。
だるいという感覚は、自分が無理してないかを計るバロメーター。
だるいから、やだ。
だから、しません。
というのではけっしてなく、自分の気持ちと身体感覚を再確認するための言葉。
一見マイナスにとらえがちな感覚も、そう思えばけっこう大事なものなんだ。
罪悪感を感じる必要なんて、ない。
私自身の場合は、「めんどくさい」という言葉をよく使う。

同僚に「幸せな状態ってどういうことかなー」と聞いてみたら「90%のいやなことがあっても10%のいいことがあれば幸せだと思う」という悟ったような答えが返ってきた。
どんなに金持ちでも貧乏でもそういうもんじゃね?と。
彼も、いつもだるそうにしている。
これを聞いて、そもそもの私の問いも「自分のいまの生活、もっと何かあってもいいはずなんじゃ」という気持ちがあってのものだったな、と気づいた。
気づかぬうちに「もっと」を望んでしまっている「もっと病」は現代病だと思った。

=====================

この本を読んで、思い出した人がもうひとり―杉浦日向子さん。

(病気のためということもあるけれど)若隠居生活を送っていた日向子さんは「ちゃんとあそぶのは、ちゃんとはたらくよりむつかしい」と言っていた。
phaさんもニートだけで生活するのはちょっときついと言っている。

情もお金も溜め込まない気っ風のよさを身上に長屋暮らし。
風呂屋や髪結い床で噂話。
再利用できるものは無駄なくリサイクル。
金がなくなれば日銭を稼ぐ。
初詣でに始まり、桜見、川遊び、花火大会、芝居・大相撲見物などの行事に胸を躍らす。
火事がおきれば全てが燃えてしまうから調度品よりも消えモノにこだわった。

これも、持たない幸福論。

=====================

phaさんは「結婚やこどもは諦めている」と言っている。
私もそっち方面の考えに向かっている。
小さい頃から大人になったら仕事をするというイメージは浮かんでも、結婚してこどもを産んでというイメージは浮かばなかった。
好きな人ができたらきっとその考えも変わるんだろうと漠然と思っていたのに、ここ近年では「好きな人を作らなきゃ」という無理のある方向に向かおうとしてしまっていた。
・・・恋愛にも向き不向きはある、と感じた。
向いてない人間が無理やり結婚してこどもを産んだとしてもどうだろうとか考えてしまうあたりで歪んでいるんだろうか。
してみたらやっぱ楽しかったよかった!てなるかもしれないし、そうでないかもしれない。
予測不可能なのが人間、人生なのでこの先もしかしたら動物的な直感でいきなり考えが覆ることもあるかもしれない。

でも、今の時点では「人は一人では生きられない~でも、彼氏彼女結婚には向かえないという人がシェアハウスという道を選ぶ」というのはあるんだろうなと思う。
実際、いまのおうちで私よりも年上(30代後半以上:3名)はみんな独身で、ようすを伺う限り恋人はいなさそうである。
皆さんがどういう経緯でシェアハウスに入居したかは聞けていないけれど、大家さんも隣に住んでいるし、まるきりひとりで生きているよりは心強いのは確実だ。
これからきっと、高齢者向けのシェア事業というのも充実していくだろうし(?)選択肢の中のひとつとして頭に留めておいてもいいと思う。
あと、大きな災害が起きたら嫌が応でも共同生活をすることになるし、サバイバル的な見地からも他人と生活するという経験はしておいて損はない。

=====================

ネットで見つけた感想ブログ。
私も含めてだけど、皆さん好意的な感想を持っています。

okite.hatenadiary.jp

hase0831.hatenablog.jp

d.hatena.ne.jp

=====================

そして、だるさ頻発のphaさんのブログpha.hateblo.jp