幸せの基準

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繁忙期ということもあり、1年ぶりに会社に14時間滞在(+通勤時間往復約2時間)という社畜っぷりを発揮してから帰宅すると、ビールがおいしいんだよねぇ。
おうちの冷蔵庫もミサトさんちの冷蔵庫にしたいです。
ごはんももう卵かけご飯でいいやーということで、ツナマヨに柚子胡椒多めにぐちゃぐちゃ混ぜて、ついでに蕪の葉っぱの余ったんを塩漬けしてたのもふりかけてみます。

食べ終わってひと段落してたら、ともきが部屋から出てきて「姉さんはシェアハウスに何を求めて入ってきた?」って。
運営会議でもしていたの?

改めて聞かれると「そういえば、何だったっけ?」って考えちゃう問いです。

 

「みんながいるっていう“幸せ”かなあ?」
「じゃあ、“幸せ”って何ですか?」

 

うわーん、ここは幼稚園か!小学校か!

 

短いお話の時間が終わって、お風呂に入りながらもちょっと考え続けてしまいました。

去年、ふとした瞬間に「ああ、自分はこういうのが欲しかったのかも」と感じたのは、友だちや恋人とはもうちょっと違う家族みたいな感覚。
いまの私はちいさな家族が欲しかったのかもしれないな。

 

結婚して作る家族とはまた違うカタチでの家族。


“おうち”っていう拠点があって、みんなそれぞれに何かがんばってる、生活してる姿を見て、感じて、さらに自分自身も「今日もいい日だったなあ」って思って過ごせる毎日が欲しいなって。
ひとり暮らしだとどうしても、交流する人間の数って限られる。

 

「あーもっと広いところに行きたいな」

 

っていう欲求は根底にある。


“広い”というのも、ある時は人間関係でもあるし、ある時は場所でもあるし、ある時は自分の能力に対してでもあるし、すごく感覚的なもの。
もっとこうありたい、あれやりたい、こうした方がいいのかな・・・「もっと」を求めすぎるとカツカツになっちゃうから適当に。いい塩梅に。

 

三十路越えした今もジュブナイルしてるんじゃないよって話だけど、あとちょっとだけ、いいよね?


今夜のBGM:高田梢枝「メダカが見た夢」