思い出は冷めないうちに。そして、冷めてはいけないこと。

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今夜は京都でのくらし以外のことを書きます。

先日、と言ってももう2週間以上も前のことになるのですが、高校時代の部活(演劇部。ワタシは「これでも」というか「なんと!」というか、部長をさせてもらってました)の同窓会のため、東京へ行っていました。




「卒業しても集まろうね」

全国津々浦々の女子高生たちが卒業時に言い交すであろう、この言葉。

この言葉を実現するために、私たち演劇部メンバー(ワタシ含めて10人)は幹事持ち回りで毎年1回の1泊旅行に行こうと約束しました。
高校卒業式の後すぐから始まって、横浜中華街、鎌倉、伊豆、小田原、飛騨、TDL…やがて結婚、出産するメンバーも出てきたのでみんなが集まりにくい年には東京近辺で宿泊なしのお茶会を開催したり。どちらか都合のいい方に参加してねっていうことで、時期をずらしてお茶会と旅行を開催した年も。
参加できない子ごめんね!前提で、今までなかなか足を延ばせなかった京都旅行をしたのが去年。
(地元高校は水戸だったので必然的に旅行先は関東圏内になるのです)

そして今年は11月3日、亀戸駅に10時集合!
東口に出るの?西口に出るの?亀戸天神に行くって言ってたからそっちに出てればいいのかね?
演劇部旅行のすごいところは、プランはすべて幹事におまかせという点。
集合場所に集まればあとは幹事の案内で、みんなでおしゃべりしながら移動開始。
この日はお天気にも恵まれて、亀戸天神~甘味処の船橋屋さんでお茶~スカイツリーの見えるカフェレストランで食事、と半日のんびり過ごして夕方解散、夜には帰京。

この日撮った写真、現像は次の日に済ませていたのにスクラップするまでに時間がかかってしまった…。
演劇部メンバーのひとりにスクラップブッキングをしている子がいて、夏にイノブン北山店でワークショップを受講してみたこともあり、自分も思い出をスクラップしていこうと始めています。

スクラップブッキングについては公式サイトをドゾー。

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もちろんこのブログや自分のFacebookにも写真をアップするけど、もっと踏み込んだ感想・ひと言メモを書いたり、その時の気分に沿った飾り付けもできるし、本棚から出せばすぐに手に取って見れるというのもいい感じです。
手を動かして残す思い出だから記憶にもより残りそう。
まだここまで凝ったものは作れませんが、特別な思い出の時には気合いの入ったスクラップをしたいなぁ~と思ってます。


さて、今回も楽しかった同窓会だったのですが楽しいこと以外でもちょっと心に残ることが。
ランチ中、それぞれの近況を話していた時。
それぞれの生活のこと、子どものことを話す中で時々出てくるのは「あの時」のこと。

3.11-

「あの時はとにかく必死だったからできたけど、今、夜に信号のついていない交差点で右折するなんて絶対無理!」
「あれから自分が住んでる地域の土地の歴史もちゃんと調べた。埋め立ててできた地域じゃないからとりあえずは安心した」
「子どもが通うだろう学校の安全対策とか方針も調べて、自分で納得できないと」

ワタシは地元が茨城県だけど、あの時には関西在住の身となって久しく。
遡って、阪神大震災の頃はまだ茨城県民。
自分にゆかりのある土地で起こった大きな出来事からいつも一歩引いたところにいる感じです。
いくら文章を読んでも映像を見ても、家族や友だちの言葉を聞いてもそれぞれの「あの時」は一歩引いたところからの想像にしかならない。
みんなは“住むところは離れていてもいちばん近い友だち”ではあるけれど、やっぱり、もう自分は違うところにいるんだな。
漠然とそう感じて帰京してきました。

あの頃、家族や友人にメールや電話はすれども、すぐには帰省しませんでした。
帰省したところで何もできない。
放射能問題についても実家の家族・親戚は「住んでるもんは、しゃあねーべ」。
変な自粛モードに違和感を感じながら、家のコンセントをこまめに抜いたりチャリティー企画に参加したり、心ばかりのささやかな行動をしていました。
一歩引いたもやもやは、現在も確実に続いていて9月の東京オリンピック開催決定のニュースを素直に喜べないのもそのせいだと思っています。(実家の父親なんかは逆に「これで大きく経済が動くから景気が回復する!」と超前向き志向)
京都でもやもやしていないで、東北にボランティアとか何かをしに行ったらいいじゃない?
でも、それもなんだか気がひける。
本当に勝手だけれど。

そういうもやもやを静かに語ってくれた本に出会いました。
数日前の記事にも書いたいとうせいこうさんの『想像ラジオ』。
この本を読んで感じる“共感”は、やっぱり一歩引いたものなのかもしれないけれど(語られているのが主に津波による犠牲者なので)、ラジオに耳をすませることはできました。

ガメさんもSさんも無神経な人じゃないのは十分知ってるんで、逆にっつうか、だからこそ口をはさませてもらうんですけど、広島のことだってそうなんじゃないかとさっき聞いてて僕は思いました。もっと遠巻きの周囲から見守らせてもらうくらいのことしか、僕らはしちゃいけないし、そうするべきなんだって」

「これは失礼な言い方でほんとに申し訳ないんだけど、Sさんは地元が博多の人で長く東京に住んでて、親戚の誰一人東北にいないし、友達が亡くなったわけでもないと聞いています。そういう人が死者への想像を語る時期でも、そもそも語る問題でもないと僕は思うんです。まして亡くなった人のコトバが聴こえるかどうかなんて、俺からすれば甘すぎるし、死者を侮辱している」

「だけどだよ、心の奥でならどうか。てか、行動と同時にひそかに心の奥の方で、亡くなった人の悔しさや恐ろしさや心残りやらに耳を傾けようとしないならば、ウチらの行動はうすっぺらいもんになってしまうんじゃないか」

「言われてみれば確かに僕はどこかで加害者の意識を持ってる。なんでだろうね?しかもそれは被災地の人も、遠く離れた土地の人も同じだと思うんだよ。みんなどこかで多かれ少なかれ加害者みたいな罪の意識を持ってる。生き残っている側は。だから樹上の人の言葉を、少なくとも僕は受け止めきれないのかもしれない」

たとえ有益な、具体的な行動に至れなくても想像することはやめないでいたいと思ったのです。
まとまりがなくなってしまいましたが、今夜はこのへんで。
想像ラジオ、京都市立図書館にも入ってます。

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亀戸・船橋屋さんの白玉おしるこ。
天神さんの近くだから白玉も梅のかたち♡


今夜のBGM:Cocco「強く儚い者たち」